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墓地でホトケ [松山先生と]

蓮びょう(犬という字が3つ山形に並ぶ字)忌を前に松山先生のお墓を掃除&お参りしに行って来ました。だいたいさっぱりしたかな…というところでお花を挿しお線香を用意し、ろうそくにマッチで灯を点ける…。が、なんてこった、持ってきたマッチをみんな使い切ってもうまくいかない。風で消えちゃう。ああ、だれか、私に力を貸して…。と霊園を彷徨うけどちょっと遅い時間であまり人がいないし、いても誰もマッチもライターも持ってない。やっと見つけたおじさんが「先日BBQしたばかりだからチャッカマンを持っていたはず」と車の中を探してくれました。「(地獄で仏じゃないけど墓地で)ホトケに会った!」と言ったら私の括弧内の気持ちを見透かして大笑いしてくれました。
「お線香に火を点けて行ったら」と言われて点火した後、そのチャッカマンも「ガスも残り少ないから」とプレゼントしてくれました。やっぱりホトケ?
 これでめでたし。なはずが、そこはワタシ、点火した線香が風で燃え上がり、思わぬ「松明」と化して大慌てするという間抜けなオチが付きました。先生も大笑いしてくれたかな。
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三回忌 [松山先生と]

気持ちの良い天気の下、松山俊太郎先生の納骨と三回忌法要が行われました。お墓の傍らの大木の根っこが敷石を持ち上げ、3・11で墓石が傾いてしまい納骨が出来ずにいたのですが、綺麗に直して今日を迎えました。 御坊様たち(画像には映っていないけれど御坊様は2人でした)の読経を聴きながら、お墓の上で先生が胡坐をかいて煙草を吸っているような気がしてなりませんでした。三回忌を迎え、先生がとても美しい季節を命日としていることにやっと気が付きました。
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供養のカリーが届く [松山先生と]

しばらく留守をしていたら、私の巣に黒猫ちゃんが何度もやって来たらしく抜け毛がいっぱいくっついていた…ウソです、クロネコの伝票が何枚も溜まっていました。再配送してもらうと、荷物は山形のインド料理屋ジャイさんのカリーセット。送り主は松山先生の古い知り合いで、その昔オールナイトトランプ大会のメンバーでもあった人。彼岸なので供養に贈ってくれたようです。ジャイさんも先生の古い友人。薫り高いスパイスの効いたジャイさんのカリー。「先生、ジャイさんのカリーは何度食べても美味しいね」と話しかけつつ先生の声を思い出す彼岸の夜。
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イヌとクマのお祝い [松山先生と]

27日は松山俊太郎先生のお誕生日。一周忌の頃に美学校関係の人達と「先生のお誕生日の頃にまた集まりたいですね」と話していました。お誘いが来るかなあ…とおっとり待っていたら、先生(自称イヌ)のお誕生日+篠原勝之(クマ)さんの「骨風」出版を祝う会ということになっていました。松山先生はともかくクマさんのお祝いに私が同席していいものか?でもこのお二方は長いお付き合いがあったので共通する友人知人が多く、私の知っている人も何人か含まれているので、コソっと混ぜて頂くことにしました。
クマさんのお知り合いだというプロのチェリストさんがちょくちょく色々な曲を弾いてくれました。贅沢!サックスの嗜みのある方も参加。巧い人はどこで演奏しても豊かな音を出すものですね。
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酒豪の皆さんはクマさんにテキーラで祝杯を重ねます。クマさんもとても楽しそう。クマさんの向かいの後ろ頭はシモン先生。クマさんにちょこっとご挨拶もできました。テレビなどで見るそのままの陽気で開かれた心の方でした。
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今回の会を呼びかけたNさんが「個性的でそれぞれ凄い世界を持っている先生の友人達とつながる事が出来たのは、松山先生からの贈り物なんだと思う」と言っていた。ホントにその通り。私もお裾分けをしてもらったひと時でした。
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松山俊太郎先生に会いに行く’15 [松山先生と]

松山先生の一周忌。「蓮びょう(犬と言う字が3個ピラミッド状に組まれた漢字)忌」と名付けられ、9日開かれました。たくさんの方が集まって下さり、幼馴染、学生時代、宗教関係(先生は蓮をキーワードにしたお経「法華経」についての本を書いています)新宿時代などなど、それぞれが交流した先生の姿を語ってくれました。みんな、松山先生の事を山ほど語りたいし、聞きたいと思っていたようです。楽しいひと時、きっと先生も嬉しいだろうなあ…と、喜寿や傘寿のお祝いの時の先生の様子を思い出しました。
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送り盆 [松山先生と]

たしかインドの古い詩の中で女性の胸を丸い甕が2つ並んだような…といった感じの表現があったなぁ…と、2つ並んだメロンを眺めて思い出す。それなら、と松山先生の写真を立てかけてみると、先生の表情もまんざらじゃなさそう。初めての、この世への帰省は楽しかったかな、先生。無邪気な先生の笑い顔を思い出すお盆最終日。
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ミステリーツアー(墓地だけど…) [松山先生と]

お盆なのでいつも通り大きなお寺へ行って、香炉にお線香を立ててきました。松山俊太郎先生の初盆なので、マイパワースポットに行ってしみじみするつもりで、そちらへ歩き出したところ…。広大なこのお寺にはボランティアの方が多いのは知っていました。そんな「ごみを集めて捨てる」おじさんが声を掛けてきました。「こっちに新しい場所が出来たから見て行けば?」それは公園墓地。「あ、ここ良いですね」と感心していたらその後はなぜかおじさんが墓地内の見どころを案内し始めました!いや、そこ、墓地と言えども他人様の敷地ですよ~!と止める私を振り切ってズカズカ入り込み「ここは豪族の墓」「ここは徳川の将軍に武術を教えた師匠の代々の墓」「ここは然るお大名の侍従の代々のお墓」などなど解説しまくる。おじさんは名所旧跡を見て回って何が悪い!って雰囲気だったけど、そこ、お墓ですから。石碑感覚で撫でまわし読み上げるけど、それ、墓石ですから。鬼太郎が知ったら怒るよ、おじさん。しみじみするはずが墓地ハイキングになってしまいました。後日出直しだなあ。
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私の「松山俊太郎先生と私」3 [松山先生と]

松山先生はお隣の国の人達の事や女性に対して差別的な事を言うことがあるので、言葉だけ聞いていたのでは反感を持つ人もいたかもしれません。しかし実際のところ、講義の後に行く酒場で働く外国人には優しかったし女性にも優しいと思いました。「先生は育ちが良いし、上等な愛情を注がれていた人なのだなあ」と感じる場面が多かったです。
 私の事も「ミヤザキさんとはご飯をごちそうする関係にあるんだ」と言って、ケーキやらエビフライやらごちそうして下さいました。手がご不自由でしたが手料理も美味でした。逢うといつも先生の隣には私のための場所があるような気持ちになりましたがたぶん他の人達も同じように感じていたのではないかと思います。
 エコールドシモンに入って何年かした頃、原宿の小さな小さなスペースで初めての個展をしました。作家になりたいとか思ったわけではなく作品展をしてみたかったのです。先生は初日にNさんと連れ立って見に来てくださいました。オープニングだから…と言って缶ビールを何本も差し入れてくれて、急きょささやかなパーティーとなりました。フランス語講座に出ているというフランス人の綺麗な女性が通りがかって人形を見に会場に入ると、先生はフランス語で会話を始めました。女性が何かとてもうれしそうにしていたので後で聞いたら「とてもおきれいですね云々」とお上手を言っていたらしいのです。その時「あ、先生はフランス語も堪能なんだ!」と知りました。そのぐらい私は先生がどんな人なのかが分かっていませんでした。
 会場に並んだ私の人形を先生は見て回り、最後に「奇をてらった様なこんな(とある人形たちを指しつつ)人形はつまらない。あなたはこういうイノセントなものを作りなさい」と言ってピエロの服を着た小さな人形をとても褒めてくださいました。この言葉は他の人達のどんな言葉よりもスッと私の胸に届き、以降私が人形を作る上での羅針盤となりました。先生が最初の段階で私の作風を決めてくれたのだと思っています。
 その後も先生は時々作品展に来てくださいました。最後は3年前の個展だったと思います。歩くのが大変になっていたのに見に来てくれて、とてもうれしかったのと先生が心配なのと…。駅までお見送りするというと「いいからあなたは会場に居なさい。私は休み休み帰るから」と言って帰って行きました。先生の後姿を見送りつつ先生が夜に溶け込んでしまうような不安な気持ちになりました。
 先生との交流の、始まりが八王子の赤ちょうちんで神保町の洋食屋での夕食が決定打になった事の、おしまいは、やはり食べ物でした。
 4月の末にお見舞いに行った私に先生は、誰かの差し入れで枕元にあった’”おっぱいプリン”を「一つ持って行きなさい」と命じました。「忙しいだろうから次は半年後にでも来なさい」という先生の言葉に「来月来ますよ」と心の中で返事をして先生の手を握って帰ってきました。私は先生は今後は回復するばかりだと信じ込んでいたし、みんなそう思っていたのでした。たとえ退院する事が無かったとしても、先生には会いに行けば会えるのだと思っていたのでした。私にとっての先生は会いに行くと「君はとってもいい子だ」と言って頭を撫でてくれる(実際に撫でられたことはありませんが)父性の人でした。
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私の「松山俊太郎先生と私」2 [松山先生と]

先生との交流が再開し、時々美学校の先生の特別講義に行きました。インド哲学…なんだかさっぱりわかりませんでしたが出てくる数字の単位が聞いた事が無いぐらい大きくて煙に巻かれた様でした。先生は語源の梵語が英語、ラテン語、中国語、フランス語にどう変化して意味が変わっていったか…などというお話もしてくださってとても面白かったのですが、なにせ知的レベルが違いすぎて。
 講義が終わると「御用とお急ぎでない方は…』と言う口上で飲み会になだれ込んでいました。〆はみんなが必ず茶碗蒸しを注文していました。
 と、きっかけは何だったのか、年末にやっているという「オールナイトトランプ大会に参加しないか」と誘われ下北沢のNさんのアパートへ集まりました。ぱらぱらtとやって来ては帰っていく人達ありの出入り自由で、たぶん常時6,7人だったでしょうか。飲みつつ食べつつ延々「ナポレオン」をやりました。
 夜も更けていくほどに元気にやんちゃになっていく先生。やたらナポレオンに立候補、しかも無茶な条件で。するとみんなも争うように立候補します、やはり無茶な条件で…。なんでかと不思議に思っていたら「先生がナポレオンになって、副官に指定されたら負け戦に巻き込まれて共倒れになっちゃうから、それを避けるためにみんな立候補してるんだよ」と解説が。先生がむちゃくちゃな立候補をするたびにみんなから笑いと悲鳴が起こり、明け方まで騒ぎ、一人二人と脱落して眠り始め、掛布団だけでは足りず敷布団にまでくるまり、寒さにみんなで「猫団子」状態で暖を取り…。早朝にそれぞれ帰って行きました。この年中行事はNさんが結婚して引っ越すまで続き、私の年末の楽しみでした。
 ある時、先生がご自宅の本棚を移動させるから手伝って欲しい…と言われて指示された本棚を動かしてみたところ…!その裏にはもう一つ本棚があって、しかも手前と奥の2層になっていることを知りました。つまり先生の書斎の壁のような本棚はすべて3層になっていたのです。「先生、こんな隠れたところにある本、一体どこに仕舞ったか覚えているんですか?」と聞くと「ほぼ覚えている、前は全部わかっていた」と言われてびっくりしました。私はかなり記憶力が弱いので先生に「後ろにある本をその並び順のまま前の本棚に移して」と頼まれたことすら難問だったのです。
 また先生のお宅は床も本の洪水で,本や新聞を踏まずに歩くということは不可能でした。しかし、先生はどこに何があるのか記憶しているので片づけることは許されませんでした。気が付くと食器棚や吊戸棚にまで本が入り込んでいました。そんななのにある日、ものすごく大きな段ボールに入った大量の書籍が!中国か台湾か忘れましたが漢字だらけのいかにも難しそうな本でした。「欲しいのは1冊だけだけど全集を買わないと手に入らないから…まだこの3倍は届く」と言う先生。なぜ先生にお金が無いのかがこのときやっと納得できました。
 ときどき先生はご自分が関わった本をプレゼントしてくださいました。これは国書刊行会の「日本幻想文学集成5谷崎純一郎 松山俊太郎編」 やはりサインと句を入れて下さいましたが、これもまた読んでいて寂しくなったのを覚えています。
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私の「松山俊太郎先生と私」1 [松山先生と]

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先生から頂いた「蓮と法華経」の見返しに入った先生のサインと句。もう13年も前。その時もその句を見て寂しかったけど今また見返すと涙が止まらなくなります。先生とのあれこれを綴った他の方の文をネットで見つけては読み、心の中の穴ぼこを少しでも埋めようとしているうち、もしかして私の思い出話も誰かの心の穴埋めになるかもしれないと思いました。
 学生時代、うっかり先生のゼミを取ることを決めた後日たまたまスクールバスで隣の席に座ったら「まずは飲みに行かないといけない」と八王子の赤ちょうちんに一人引きずられる羽目になりました。人見知りな上、目上の方との交流に慣れていなくて内心かなり困ったことを覚えています。そこで何の話をしたかは忘れたのですが先生に「あなたの箸の使い方は正しい」と褒められました。
 そうこうしているうちに年末となり、私は風邪をこじらせたのと金欠だったのとでしばらく学校に行けないでいました(当時ATMの営業時間は短く、土日祝日は休みだったのでタイミングが悪いと金欠が続くのでした)。久しぶりにゼミに行くと私以外の生徒がいない(理由はあったのですが割愛)…先生もいない。帰ろうとした頃に先生が入って来たのでしばらく休んでいた訳を話すと「夕飯をごちそうしてあげるから一緒に来なさい」と言われました。
またもやかなり困りながらも、どう断ったらいいのかが分からずそのまま神保町まで引きずられ、洋食屋でミックスフライ定食をごちそうになり、さらに」引きずられて着いた先が美学校でした。60年代の激情が匂ってくるような古いビルでした。
 年末の先生の特別講義はいつも「ブルーフィルム(?)」上映会とかで、エロティックな絵画とか写真とか立体物をスライド上映していました(その当時でさえエロと言うよりギャグという代物でしたが)。そのまま美学校の人達の飲み会にまで連れて行かされ、ただただびっくりしていた夜でした。
 卒業後は先生とも美学校とも関係なく過ごしていたのですが、人形の作り方を正しく習いたいと思いエコールドシモンに入りました。しばらくしたころ松山先生の著書が新聞の書評欄に載り、懐かしくてお葉書を出しました。ついでにエコールドシモンに入ったことも書き添えて。
 私としてはそこで終わりだったのですが、なんとシモン先生から「松山さんが逢いたがっているよ」とお言葉が…。シモン先生と松山先生が古い友人同士だと知った時はとても驚きました。かくしてまた松山先生と交流が始まったのでした。

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松山俊太郎先生に会いに行く’14 [松山先生と]

私のこの日記に時々松山先生の名前を検索してきてくださる方々がいます。その方たちへのお知らせも兼ての日記です。
先生が先週5/11早朝にご逝去されました。一昨年に大手術をされ、昨年の今頃にやっと「そろそろお見舞いに行っても大丈夫だよ」と知らせを受けました。その後何度かお見舞いに伺い、どんどん体調が戻っているかに見えて「もう心配はないんだ」と勝手に信じ込んでいました。お体がご不自由なことに対しての不満を口にされることは無く、私の話を聞いては親身になって頂いていました。
先月末にお見舞いに行った時も、京都での人形展に参加したこと、見た桜が見事だったことを話す私に嬉しそうに相槌を打ってくださいましたが実のところかなり体調は悪くなっていたのだそうです。
昨日今日と、通夜告別式に参加してきましたが、交友関係の広さ豊かさに驚きました。弔辞で「どんな相手にもきちんと一対一で会話をした」と先生を語る言葉がありましたが、私に対してもそうでした。
学生時代、うっかり先生のゼミを取ったことから始まったご縁、これほど長く続くとは…。先生や仲間たちとのオールナイトトランプ大会のバカ騒ぎ、楽しい思い出しみじみした語らい、感謝ばかりです。
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松山俊太郎先生に会いに行く12年4月 [松山先生と]

松山先生を囲んでのお花見に誘われました。今までずっと都合がつかなかったお花見。公園は桜が「見ごろ初日」なので大勢のグループで賑わっています。よくぞ私らにも見頃の場所が残っていたものだ。美学校の講義に集まるメンバーの方々はこんな花見の席にも「へー!」連発の薀蓄が尽きない。ワインに詳しいかと思えばモツ焼きのおいしい店なんかにも詳しかったり、昔の映画のマニアックな話を聞いたり。先生も昔の変わった体験談をとぼけた口調で語ったり。公園の空を埋るたくさんの桜。それぞれの桜の木の下で、幸せでちょっと切ない気分がにじんでいる気がします。
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松山俊太郎先生に会いに行く2011年11月 [松山先生と]

土曜日は松山先生の講義の日だったので神保町まで出かける。どうも前月にエドガー・ポーの訳本には誤訳が多い、という話が出たらしく、原文と訳文2例と先生の説明とで「赤死病の仮面」を読み解いていく。先生は「インド学研究者」という肩書きがついているけれど、そんな区切りじゃ納まりきれない知性だと常々感じているのだけれど、今回も英語の語源となったラテン語やらフランス語を比較しつつ正確な意味を探って行く。小説家が何故この言葉を使ったかが判らなければ日本語に移し変える時に違う物になってしまう…。いつもとは違う講義だったけど知的パズルの様でこれはこれでとても楽しいひとときでした。
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松山先生・つづき [松山先生と]

松山先生の特集本が出ているそうで、講義に集まった常連さんが見せてくれました。密林書店で買うのが一番間違いなく買えるよ、と知恵を付けてもらったのに雑誌名をすぐ忘れる辺りが私。しかし表紙は強烈。『アングルに因っては先生の顔がこんなに見えるのかなあ、カメラマン下手過ぎ』と眺めていたらそれは南伸坊さんの顔まねでした。南さんのコメント「最初にお会いした時、そのスジの方かと思いました」。講義に来ていた一同、大共感。顔まね写真を写メし損ねたので本物の先生の写真をちょっくらぼかしてみました。親分と間違える迫力が何となく伝わるのでは…。
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松山俊太郎先生に会いに行く・11年7月 [松山先生と]

久々になっちゃいましたが美学校まで出掛けて行きました。昨日テレビのインタビュー番組で、松山先生の講義の常連さん激似の人を見たのでその話をしたら、やはりその方でした。本職は博物館の学芸員さんでした。でも仏文こそが本当の専門で映画に関する知識も半端じゃない等等、底なしの人だと言う事をやっと知りました。他の常連さんもそれぞれ色々な分野で「底なし」。松山先生自体が底なしの「大怪人(先生の、周りにいる人達に関する口癖)」なので集まる人達もそうなるのでしょうか?平凡な私がちゃっかり参加していても良いのかなあ…。
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松山俊太郎先生に会いに行く・11年2月 [松山先生と]

「ここら辺りは『中猿楽町』という名前だったのかあ」と何時の間にか出来た名前の由来掲示板をしげしげと読む。そんな大通りを、ちょっと逸れた所に美学校がレトロに建っています。若い女の子達が「あー!ここだ。たどり着けないかと思った」とはしゃいでいたけど、確かに美学校がこんな目立たない雑居ビルだとは思わなかったでしょうね。今回の松山先生は地球外に地球と同じ条件を持つらしい星が沢山見つかったと言う話を発端に「言葉」の発生、反応と知覚、進化と行動様式などの話を展開。いつも凄いと思うのは私が『?』という顔をしているとすぐに分りやすい言葉、事例を使ってくれる事。これって知の深さがあればこそ。講議をしている先生の表情は学生の頃にゼミでお会いしていた時と変わらない生気です。


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松山俊太郎先生傘寿のお祝い [松山先生と]

松山先生を囲んでお祝い。今回は女性が半数以上という華やかなお祝いとなりました。先生と大昔からおつき合いのある方も名古屋から駆け付けて、和やかな楽しいひととき。みんな先生が大好き、先生もみんなが大好き。みんなで兵児帯を先生にプレゼント。写真に撮ろうと思ったら携帯の電池切れ。残念。なので今回の写真は喜寿のお祝の時の写真です。大学生の時はまさかこんなに長いおつき合いとなるとは考えもしなかったなあ。
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松山俊太郎先生に会いに行く5 [松山先生と]

第一土曜日は松山先生の特別講議の日。神保町をふらふらマーキングしつつ美学校へ。首相が代わった直後だったので先生のお話もそれにちなんだ内容。世界の人口の移り変わりとか、中国の歴史とかも交えつつ。仁(ひと)、民、義、主という漢字の成り立ちから来る本来の意味。なるほどなあ…とか、ああそうだったのか…とか、今回も興味深いお話でした。それにしてもいつもは参加者の年齢が高めなのに今回は若者たちが!こんな年頃に松山先生と出会ったんだなあ…。
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ちょっとずつ読む [松山先生と]

寝る前にちょっとずつ松山俊太郎先生の「綺想礼讃」を読んでいます。先生がこれまで書き継いで来た文芸評論、18人の作家分がまとまっています。読んだ事のある作家、読んだけどどうも解らなかった作家、名前は知っていても敷き居が高くて避けていた作家…。興味の向くまま先生の評論を読んでいると『ああ、こういう事だったのか』とか『これを踏まえて読んで行けば読み通せるかも』とか、方位磁石と地図を手に入れた気がします。
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松山俊太郎先生に会いに行く4 [松山先生と]

先生の新刊が出ました。「綺想礼讃」国書刊行会。で、神保町東京堂書店で安藤礼二氏とトークイベントがありました。私の様な何も知らない者が参加するのはいかがなものか?と思っていたら先生と大変親しいNさんから御誘いがあったのでそれを免罪符にして参加。盛況でした。先生の知識たるやあまりに膨大で身が竦むのですが、私(何も分かっていない者)にも分りやすく話をしてくれる…と言う事にいつもながら驚かせられます。分りやすいだけで無く興味をそそられるのです。安藤氏が編集者として先生と10年過ごした日が素晴らしかったと語っていましたが知力のある人ならそうだろうなあ…とうらやましい気持ちでした。
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松山俊太郎先生に会いに行く3 [松山先生と]

とんでもなく寒い中を神保町の美学校へ。「思想」と言うものについて先生は語り始める。「思想」から「格差とは何か」と言う話に流れて行ったら参加者Tさんが江戸時代の身分ごとの「生きる規範」についての研究結果を話してくれました。で、帰り際Tさんの直筆「伊勢海老をくわえる猫」(御利益あり・T氏談)の葉書を購入。先生の講議も参加者の意見も私にはその博識ぶりが楽しい。次回は3/6だそうです。
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松山俊太郎先生に会いに行く2 [松山先生と]

神保町の美学校での松山先生特別講座。今回のテーマは「時間について」でした。ヒンズー教の時間の考え方と仏教との違い、「時間」や「時代」というもののとらえ方の違い等等、へえ〜!へえ〜!と感心しながらの2時間はあっという間。相変わらずの知識の海の広い事深い事!そして記憶力!!なのに漂うユーモラスな風情。松山先生の特別講議は第一土曜日7時から。飛び込みで参加しても大丈夫です。
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松山俊太郎先生に会いに行く [松山先生と]

先生は神保町の美学校で特別講議を月1開講しています。会いたくなったらここに参加するのが確実。今回は「世界」と「宇宙」についてのお話。語源としての梵語、漢語、ヨーロッパ言語からのお話は面白かった。だいぶ背も丸まっていたけれど、その博識ぶり記憶の確かさは昔のまま。ひょうひょうとした佇まいに円熟味が増して一緒の場にいると言うだけで嬉しくなって来る。先生の講議は美学校のHPでは特に告知はしていませんが毎月第一土曜日、夜7時〜9時。参加費は1500円です。
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「蓮と法華経」を連想 [松山先生と]

友人が撮った蓮の花。蓮の花で有名なお寺なのだそうだ。インドの人達は古来から蓮の花をいろいろなものに例えた、美人の目元とか…。これが仏教の言葉にも使われていて、白連・紅蓮、その意味とは?ということを、松山俊太郎先生が「蓮と法華経」と言う本の中で対話形式で解きあかしています。私には難し過ぎるのだけど、読んでいると先生の知識の膨大さ、凄みが伝わって来ます。
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松山俊太郎先生のこと [松山先生と]

私の淡々とした日記にたまにアクセスが多くなる事が。松山俊太郎先生のお祝の話もその1つ。松山先生とは卒業後先生の本が新聞の書評に載っていたのを見つけ葉書を久しぶりに出したところからまた交流が。いくつか先生の本も買って講議にも出かけたのだけどなにせアタマの出来はチョモランマと砂場の砂山。オールナイトトランプでもナポレオン(これを一晩中やる)のルールを憶え切れなくて足を引っ張ったものだけど大騒ぎしつつ楽しいひとときでした。


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松山俊太郎先生喜寿のお祝 [松山先生と]

大学4年の時、卒制ゼミの他にもう1つゼミが必修で私が取ったのが松山俊太郎先生のゼミでした。そのゼミで今だに先生と交流があるのはたいして出席もしていなかった私。松山先生は大変な知の巨人で奇人。世間では澁澤龍彦さんとの親密な交流で知られている様です。先生が今年喜寿を迎えたので内々でお祝をしました。初めて会った頃と変わらずやんちゃで知の巨人で甘えん坊で上品。心根の優しさが人を惹き付けるのでしょう。


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