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ついにアルメニア12 [ア−トとの遭遇]

アルメニアと言う国を語るのに避けて通れないのは1915年から数年間にわたってオスマントルコによって行われた大虐殺です。当時アルメニアはオスマントルコとロシアに分割支配されていて、トルコ側でアルメニア人への猜疑心が強くなり彼らを国外退去させることとなったのでした。
 まず政治家や知識人が殺され、神父たちが殺され、男たちが殺された後、女子供がシリアやイラクへ追いやられました。追いやられた…などというレベルではなく数年間でアルメニア人150万人が殺されたということです。
現在アルメニアの人口は約300万人。ですが海外に約700万人。海外に逃れた人々も多かったのです。

この大虐殺(ジェノサイド)のための慰霊碑がエレバンにあります。慰霊碑の隣には資料館もあり、何が起こったのかを教えてくれます。
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バラさんの説明によると、この記念碑はアルメニア人がみんなで力を合わせて作った物なのだそうです。岩だらけの丘にみんなが協力して、力仕事が出来ない子供たちは木を植えて、作ったのだそうです。
この日も冷たい雨の中を子供たちが、親や先生に連れられて大勢来ていました。
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 たまたまアルメニアの讃美歌を聴きたいとユーチューブで検索したら「お婆ちゃんの入れ墨」という外国のドキュメンタリーを見つけました。国外追放させられた幼い少女たちの身の上に何が起きたか…。胸が締め付けられます。
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過酷な歴史を生き抜いてきたアルメニアを知ると、人々の優しさもいっそう沁みてきます。旅の終わり、3度目のパラジャーノフ博物館へ行った時やっとアララトがくっきり見えました。アルメニア人にとって聖なる山アララト。でも今はトルコ領なのです。
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